2005年05月31日

のどあめ

風邪なんだろうな、多分。
喉が炎症を起こして血がにじんでいるようで痰が血混じりです。
なんかヒリヒリします。起き抜けが特に酷い。

こんな時、のど飴が欠かせないのですが、舐めている間だけしかほぼ効かないので舐めっぱなし。飴のカロリーだけで通常の三食分いってしまいそうな気がするのは私だけでしょうか。
医薬品ののど飴と菓子類ののど飴はやはり多少効果が違う気がします。

喉が本気で痛い時、痰が絡んで苦しく咳が酷い時、食品ながらよく効くのは龍角散のど飴。定番ですね。が、美味しくないのが欠点です。いや、食べられないほどじゃないんだけど、お菓子がわりにはできないよね。

咳が酷いときは、龍角散のど飴の他に、南天のど飴を愛用しております。昔から使ってるけど、なめてると異常に辛く感じるときがあります。「つらい」んではなく「からい」です。これも美味しいとはいえないけど、咳に効く気がします。これは医薬品。

逆にあんまり効果は感じられないけど、味が好きでずっと愛用してるのがカンロのはちみつゆず茶のど飴。セブンイレブンなどにおいてあります。ゆずが好きな人にはオススメ。

最近試したのは、医薬品ですが日本臓器製薬(すげー名前)のアイストローチ ルビーメロン味がちょっとお気に入り。ブルーハワイ味とか怪しいですがまだ試してません。でも16個で650円は高すぎだと思います。でも他のトローチって薄荷が強くて(薄荷苦手)だめなんだよね・・・。

油断するとすぐに扁桃腺炎になるので、こまめなうがいと、栄養と休息、それからのど飴が手放せない今日この頃。風邪流行ってますね。みなさんお気をつけて。

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2005年05月30日

週末は居酒屋開店

普通に日記。

土曜日は友人が来たので、自宅にて俄居酒屋を開店してみました。

鰹土佐造り。茹で蚕豆。つくね黄身添え。浅蜊バター酒蒸し。じゃこサラダ。鶏唐。
あとは買ってきてもらった餃子とお刺身。

意外に美味しく、手早くできました。やればできる。やればできる。
お酒はちょっと呑みすぎた。チューハイは悪酔いしやすい。(私は)
むしろ生の焼酎のほうが酔わない気がする。

翌日朝ご飯も作成。

焼椎茸と焼獅子唐。とろろ汁。金胡麻と山芋入り卵焼き。冷奴。

頑張った頑張った。でも焼き魚か煮物が欲しいところだね。


自宅の賃貸契約更新の案内が来た。連帯保証人つけてるのに、賃貸保証料とられるとはこれいかに。とか思って契約書見直したらここを借りたときにも賃貸保証つけてんだな・・・。余計な金とられてるなぁ・・・。礼金を取るところや、法外な更新料を取るところが少なくなったとはいえ、不動産関係は未だに妙な慣習やらブラックボックスやらが多くて嫌だね。勉強しても、力の強いものには勝てないしね。


今日は派遣元の営業さんが来て、汗をかきかき(恐縮の汗)私に説明してくれた。後任がやはり見つからず、未だに候補もいないとか。つか派遣先の出してる条件が厳しいと見た。貿易事務経験者を求めているらしい。それは無理じゃないかなぁ・・・今この職種の派遣さんは引く手数多で高時給だしね・・・。私は英語できないから時給安いけど。後任にそういう人を、というならもう少し考えないとじゃないのかな。そんなわけで契約が半月延びそうな予感。離職票は会社都合つか契約満了で発行してもらえますか?と聞いたら勿論ですと返事をもらったので、まぁ良い派遣元に感謝ってことでちょっとくらい延びてもいいかなーとか思った。当たり前のことといえばそうなんだけど、意外とちゃんとしてない派遣会社も多いと聞くと、よかったなと思う。まだ感想を述べるには早いけど、いろいろあったけど、まぁ、ここで働けてよかったなと思う。今はね。次もいいところで働けるといい。お金も欲しいけれど、やっぱり仕事は環境だと思う。安心して働きたいもんね。


そんで家に帰ったら、コミケ当落が来てて。
受かってた。呆然。
印刷所予約しなきゃ?
つか本刷るお金!

そしてまた自動車税の払込を忘れる。
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2005年05月27日

やっと週末だよ・・・。

今週1週間ブログも書けなかったなぁ。
なんかもーへろへろです。

連休明けに更に父の葬式で休んだりとか、風邪引いてしまったりとかで、仕事が常に後追い状態になってしまい、残業残業の毎日です。

とはいえ正社員に比べたら大したことの無い、せいぜい21時か22時程度までなんですけどね。出社は10時だし、たかが12時間労働、全然たいしたこと無い、と頭では思うのに、それを数週間やっただけで息切れな私は、3年前まで、どうやってアノおかしな仕事をしていたのでしょう・・・。思い出せない。自分でも疑問です。それともデスクワーク向いてないのかなぁ・・・常に眼精疲労な気はします。

デスクワークをずーっと息もつかずやってると無性にコーヒーが飲みたくなるのですが、会社常備のポットコーヒーは午後には煮詰まって酸っぱい泥のようで飲みたくなくて、最近もっぱらスタバやらタリーズやらの高級(笑)なコーヒーを買ってばかりいます。1日400円近く払ってたら一ヶ月で8000円とかになっちゃうよ!値段もさる事ながら、胃の荒れ具合も無視できないです。

まぁ、そんな生活もあと一ヶ月なわけですが、後任の「う」の字が聞こえてこない(「こ」だけなら聞こえてきた)のは仕様ですか?いや、仕様なのは過去の実績からよーーーく分かっているのですが。引継ぎ間に合わなくても私の所為じゃないからね?知らないよ?とかぶつぶつ言いながらマニュアルを作成する今日このごろです。間に合わないなぁ・・・マニュアルも。


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2005年05月23日

タルト・タタン

タルトタタンの伝説をご存知でしょうか。

フランスのある村に、小さなホテルを営んでいるタタンという姉妹がおりました。
ある時、タタン姉妹の姉の方が、りんごのタルトを焼こうとして、うっかり、タルト生地を敷かずにりんごだけ型に入れてオーブンに入れてしまいました。途中でそのことに気づき、慌てた彼女は焼いているりんごの上から生地をかけて焼きましたが、このままではお客に出すことが出来ません。そこで彼女はお菓子を型から出すときにお皿の上にひっくりかえすことにしました。この不思議なりんごのお菓子は美味しいと評判になり、タタン姉妹のタルト、「タルト・タタン」と呼ばれるようになりました。

伝説とはいっても19世紀末の話らしいんですがね。このタタン姉妹の営んだ「ホテル・タタン」は実在しており、やっぱりタルト・タタンが名物です。とはいえ伝説のようなアクシデントが元でレシピが出来たかどうかは不明。りんごを使い切るために考えられたレシピという説もあるようです。

ま、そんな話は置いておいて。

実を言うと、私はリンゴを焼いたお菓子系は、嫌いではないけれど好きなほうではなくって、タルト・タタンにも大して興味はなかったのです。ただのリンゴのタルトとどう違うわけ?ひっくり返す意味なんてあるの?とか思っていたわけ。
ところが、この間ある雑誌を立ち読みしていたら、その、ホテル・タタンのオリジナル、つまり原初のレシピが載っていて、「これは美味しそうだ!」と思ってつい買ってしまったわけです・・・・。
ところが、このレシピには、直火にもオーブンにもかけられる型or鍋が必要でして。うちにはそんなものがなかったので・・・取っ手の取れるティファールを買ってきてしまいました・・・・。タルトタタンのためになんつう散財・・・。というわけで日曜から今日にかけて作ってみました。ほんとは日曜だけで作るつもりだったんだけど、よく見たら生地1日寝かすとか書いてあったりして。てへ。

レシピ、丸写しようかと思ったんだけど、それじゃ著作権ひっかかりそうな気がするんで念のためやめときます。きちんと知りたい方いらっしゃったら、私宛にメールくださいな。

この、オリジナルレシピの肝は、リンゴを大量に使うこと。それから、最初に型の底にバターと砂糖を敷き詰め、その上に「大きく」切ったリンゴを置くことと、一旦オーブンで焼いた後、「直火で」加熱することです。こうすることによって、リンゴの中はジューシーに、外側はバターと砂糖とリンゴの果汁でキャラメル状になるのです。
んで、早速作ってみたんですが。

味は大成功。とっても美味しかった。リンゴも焦がさずに、上面は汁がキャラメル状になってねっとり香ばしい。中は果汁がいっぱいでジューシー。生地もシンプルにバターでサクサクで美味しい・・・んだけどーーー。オーブンから出して、一回直火で汁気を飛ばした後、しばらく冷まして生地とリンゴをくっつける時間が必要なのですが、これが足りなかったらしく、ひっくり返すときに空中分解しました・・・。これは・・・タルトタタンっつーよりアップルクランブルだ・・・。つーか、レシピ通りに作ったのにタルト生地が妙に少なかった・・これでいいのかなぁ・・・?
今回は24cmのフライパンに2kgオーバーのリンゴを使用しましたが、オリジナルレシピは26cmのフライパン1台分でリンゴ3kgつーとんでもない分量。でも、一回作って要点がわかったので、今度は18cmの鍋で小さいの作ってみたいと思います。

今回は分解したので写真は見合わせ。次回上手に出来たら載せようかと思います。
非常にシンプルで、コツさえつかめれば気軽に作れるレシピだと思うのですが、何が大変って一番大変だったのは、生地作りでも、直火加熱でもなくて。

2kgのリンゴの皮剥きだったりしたのです。






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2005年05月20日

青いバラの魔力はこんな所にまで。

このブログ。一応アクセス解析機能がついているので、アクセスされた方が、どのOSを使っているか・ブラウザは何か、どのリンクをたどって来たのかくらいはわかるわけです、それに加えて、サーチエンジンなどから来た場合、どんなキーワードでここに来たかを調べることが出来たりもします。ですが基本的にここへの来訪者は、私のサイト(植物図鑑)の方を見てくださっている稀有な方か、あるいは身内ばかりなので、経由は殆どが「リンク元なし(ブックマーク)」なのですね。

ところがここのところ、ぽつぽつとサーチエンジン経由で見に来てくださってる方が居るみたい。
そのキーワード、ほぼ全て「ブルームーン」「ブルーヘブン」のどちらか。

いやぁ、青いバラって、やっぱり人を惹きつけるものがあるんですねぇ。おかげで予想外のご相伴に預かった私なのでした。にへへ。
いやまぁ、だからって来てもらえるようなネタ仕込むほどの甲斐性はないんですがね・・・・。

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2005年05月19日

てれこ

「てれこ」といってもテープレコーダーのことではありません。

今の私の職場では、頻繁に「てれこ」という言葉が出てきます。

「てれこった」「てれこしてる」という場合は、例えば2つの貨物があったときに、本来配送されるべき配送先を取り違えてそれぞれ逆の配送先に届いてしまった、などです。飛行機の積み違えなどにも「てれこ」という言葉が使われます。

私は最初、この言葉を「Tele・・・」から始まる英単語の略だと思っていました。
テレポーテーションの親戚かしら、とか。いやだって意味合い的になんとなく近いでしょ?

しかし調べてみたら、れっきとした日本語なのでした。


【てれこ】

(1)歌舞伎で、二つの違った筋を、多少の関連を持たせて交互に展開していくこと。
(2)互い違いにすること。また、食い違うこと。


この言葉、さらに調べると関西方面でよく使われるようです。どちらかといえば互い違いにする、という意味で使われることが多いようでしたが。

私はてっきり物流業界で使われる特殊用語系かと思っていたのですが。微生物屋さんの「コンタミ」とか、化学屋さんの「律速」とかみたいな。実は常用語だったのかと驚きです。うちの派遣先が関西系っていうのもあるのかもしれませんね。

そんなことを調べていたらこんなものを見つけました。
糸井重里さんのHPなのかな?オトナ言葉。本も出ているみたいです。
面白そうだから今度本買ってみようかなぁ。
募集時期に気づいていたら害虫駆除業界とか輸入業とか色々ネタ考えてみたかった。残念。
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2005年05月18日

学生時代で勉強は終わりじゃないわけだ。むしろ?

目の背けようの無い事実として、行政機関から見たら、私はフリーターなわけであります。そうなのよ、全国のフリーター人口の中には私も1人として数えられているわけです。クレジットカードだって新しくは作れないのよ。いや、それにしてもこのフリーター人口ってどうやって数えられてるんだろうね?社会保険の加入非加入とかじゃなさそうだし・・・。自由業や個人事業とかとは違うんだろうし。はてさて。とか思ってこの集計方法をちょっとぐぐってみたけど調べはつきませんでした。はい。

それは置いておいて、なんでそんなことを言い出したのかというと、今の派遣先を6月いっぱいで辞めようとしているんだけれども、後任の人がなるべくわかりやすいようにと、面倒くさい計算が必要な請求とかは、Excelの表に入力すれば一発で計算されるようにしようとしてたわけですよ。今日。

なわけなんだけれども、これがなかなかうまくいかない。

宅急便料金みたいな、地域と、重量と三辺計のどちらか一方(大きいほう)で料金が決まるようなのってどうやったらいいんだろう、とか。IF関数つかって全部場合わけして、ダラダラ長い式を書いていけばそりゃ、出来ないことも無いけどそれはあまりにも面倒だ。関数一覧とかにらめっこしてみたけど、どれを使っても巧く出来そうに無い。いっぺんにやろうとするのが悪いんだろうけどさ。VLOOKUP関数を組み合わせて使うのが一番妥当なのかなぁ・・・一つ一つの条件から出した料金の大きいほうを取る、とか。でもそしたら地域どーすりゃいいんだ?(詳しい人、「こいつ馬鹿じゃないの?」とか思ったら教えてください。いやマジで。)

そんなんでうんうん唸ってたら、「マクロ使えば簡単じゃん?」と言われました。

だってー マクロわかんねんだもん。とか言ってみた。マクロ使えば簡単なのかすらわかんないよ?

でも、実はそうはいってられないんだろーね。前職の肉体労働から180°でもないけど、まぁ大幅に方向転換した私には、これができますってのがなくって。つまりは手に職がなくって。まぁ、割と、ソフトとか使いながら覚えていくほうだし、さすがに2年前よりはExcelも使えるようになったけど。でも、やっぱり普段の業務で使用する機能って限られていて、全然知らない機能のほうが多いんだよね。これでExcel使えますって言ってはいけないような気がする。初級は大丈夫だと思うけど。さすがに。

勉強、なるべくしてるつもりではあるけど、やっぱり実際作業してみないと覚えないしね・・・。
これで(OAオペとか)食べていくつもりなら、マクロだって、Excel以外にPowerPointやらAccessやらも使えるようにしておかにゃーならんのだろうね。ううむ。それから英語も出来たほうがいいんだろうなー。特に今の派遣先の業種の系列で時給高くするなら必須だし。

とか考えていたらちょっと頭痛くなった。若いうちに努力しないとやっぱ報いが来るんだなー。取り返しがつかなくなるまえにがんばらねば。
それはさておき6月いっぱいってあと1ヶ月半もないよ。マニュアルつくらにゃだし、がんばろー。





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2005年05月17日

ブログタイトル

ネタギレにつき自爆ネタを。


もちろんHPの「植物図鑑」から、なんとなく植物系を思わせる言葉を、と思ったのは間違いないんだけど。じつはこのブログの前から自作本のタイトルにしたりとか、何度か使った言葉ではありました。でもこれ、なんかおかしい言葉ですよね。

社団法人日本造園組合連合会のHPから無断引用させてもらうと

イミテーショングリーン imitation green 【施】

本物のように印刷したポリエステルの葉に,防虫防腐加工をした樹木を幹に用いた人工樹木のこと


となっている。んだけど。
どうも英語の表現としてヘンな気がしてならない。かといって「fake green」が正しいのかっつーとそれもわからないんだけど。さらに複数形にしたのは単なる私の趣味なんだけどさ。森っぽく。ただイメージでそれだけ。

ちょっと話は変わるんですが。

そういう人工観葉植物って、実際にある植物の模造品が殆どだと思うんだけど。折角まがいものなんだから、どうせなら実在しない植物の作り物が欲しいと思うんですよ。そりゃもー幻想的な。けれどもあくまでリアルな。

そんで私もそういう絵が、漫画が描いてみたいです。実在しない、幻想的な、そして限りなくリアルな。そんな意味を込めてつけたタイトルです☆なわけないじゃん。後付けです。はい。

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2005年05月16日

ふと思い出した国語の教科書

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I was born

吉野 弘


確か 英語を習いはじめて間もない頃だ。


或る夏の宵。

父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 

青い夕靄の奥から浮き出るように白い女がこちらへやってくる。

物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。

父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。

頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し 

それがやがて 世に生まれ出ることの不思議さに打たれていた。

女はゆき過ぎた。


少年の思いは飛躍しやすい。

そのとき 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を 

ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

 ――やっぱり I was bornなんだね――

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

 ――I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。

自分の意思ではないんだね――

その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。

僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。

それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。

僕のとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。


父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

――蜉蝣(かげろう)という虫はね。

生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが 

それなら一体何の為に世の中に出てくるのかと 

そんな事がひどく気になった頃があってね――

僕は父を見た。父は続けた。

 ――友人にその話をしたら 或日、これが蜉蝣の雌だといって

拡大鏡で見せてくれた。

説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。

胃の腑を開いても入っているのは空気ばかり。

見るとその通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中に

ぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。

それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 

咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。

つめたい 光の粒々だったね。

私が友人の方を振り向いて<卵>というと彼も肯づいて答えた。

<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。

お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。


父の話のそれからあとは もう覚えていない。

ただひとつ痛みのように切なく 

僕の脳裏に灼きついたものがあった。

――ほっそりした母の 胸の方まで 

息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。

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2005年05月13日

法則

少数の実例と、多くはない私の人間関係で得た経験則と、私の当て推量を以って思うに。

妻は夫の日記を読みたがるが、夫は妻の日記を読みたがらない。
そして大体にして読みたがらない理由は「恐ろしいから」である。

だからどうだっていうのは、考え始めれば色々あると思うんだけど。
なかなか興味深い話ではあるよね。うん。やはり男性と女性は違うのだなと思います。






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2005年05月12日

不可能の代名詞らしいですよ

こないだバラについての日記を書いたからバラづいてるのか。

昨日会社に行ったら、窓際に一輪のバラが活けてありました。
パートのおばさまが家に咲いていたのを持ってきてくださったようです。
青みがかったとても美しいピンク。爽やかに甘いフルーティともいえる芳香。
品種をブルームーンというそうです。名前も素敵。

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ブルームーンという名前。
英語では「blue moon」という言葉は滅多に起こらない珍しい出来事の代名詞としても使われるようです。「once in a blue moon」=「極めて珍しい」という表現らしい。
(「blue rose」は不可能の代名詞ですが)
また一ヶ月の間に2回満月が訪れるとき、2回目の満月をブルームーンというのだそうです。

知らなかったのですがブルームーンはいわゆる「青いバラ」の代表格だったのですね。青というよりは藤色といった感じですが、たしかに青色が匂い立つというか、気品を感じます。花がいたみにくく、育てやすい品種らしく、花の形といい、むらのない色具合や葉の美しさも素晴らしいです。

作ることは不可能と言われた青いバラですが、去年サントリーが遺伝子工学的に作成した「青い色素100%の青いバラ」があるようです。これなんですが。

ううむ。自分的にあんまり好きじゃない青ですな。画期的なのはわかるのですが。

私としては「ブルーへブン」の方が「青い」というイメージに近いと思います。白っぽいですが、このくらいの青が理想的な気がする。高貴なイメージ。冬の空や雪や氷を思わせる青さ。「青龍」とあわせて、いま交配で出来る青バラの中で最も青いといわれている2大品種らしいですが、「青龍」と比べても「ブルーへブン」のが好きかなぁ。それにしても青バラの最先端がどれも日本産というのは、すごいですよね。

ちなみにベンデラという白いバラに青い色素を吸わせた真っ青なバラが売ってるみたいです。
これはキレイっつより怖いっていうんじゃないでしょうか・・・・。
耽美系な人はこういうほうがいいんでしょうかね・・・。

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2005年05月11日

ホームシック

副作用としておもしろい症状が出ました。

ホームシックです。今。私が。この私が!(笑)

高校卒業と同時に実家を飛び出したっきり1年に1回くらいしか帰省しなかった私が、一ヶ月に2〜3回帰ってるこの頃に、ホームシック!ウケる!自分でウケてます!いや自分しかウケてない。でも腹いてぇ!!

ろくに帰らなかった10年の間に、町も様変わりしてました。道も綺麗になって便利になった。
ゆっくり滞在して色々まわってみたいけど、生活はやっぱり千葉に有るので難しい話。

大学を卒業した時、前職を辞めた時、実家に戻るって選択肢はたしかにあったけど、私の中には実は全然なかったな、と今は思います。それは父がいたからなんだけどさ。
今、なんとなく、もしも実家に帰って生活していたら・・・。とかいうことを考えます。それはそれで楽しかったかもなぁ、とか。お金が貯まったかもなぁ・・とか・・。

死ぬまで独身になりそうだけど。

まぁ、なんか、兄と母を二人っきりにしておく罪悪感もあったり、家族三人寄り添って生活したいなんて感傷もあったり。でも今の私にはそれよりも暮らしたい生活があるので、私は二人になるわけにもいかないから、出来ない話で。だからホームシックなんだろうな。

そんなわけで地元情報を見て心を和ませたり。

はまにゃこぶろぐ
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2005年05月10日

落ち着いてきました。

1日余計に休みをもらい、意図して1日泣いて過ごしたら割と落ち着きました。
こういう、ショックを受けたときの対処の仕方が、わかってきたのは30になったからかなぁ。

久々に職場に行ったら、実質営業日2日しか休んでいないのに途方に暮れるほどの仕事が溜まっていました。はふぅ。必死で仕事をしていたら頭のなかからキレイさっぱり父のことが抜け落ちました。去るもの日々に疎しというけれど、生きていると悲しんでばかりはいられなくて、昨日は強かった想いも、今日には押し流されていくようです。

もっと幼かった頃はそれが許せなくて、必死でつなぎとめようとしていたけど、それが成人した頃には仕方がないことと思うようになり、今ではそうであるべきだ、と思います。別に、故人がとらわれる事を望まないとかそういうのではなくて、死が誰の上にも等しく降りかかるものだから、です。
他人の死が、必要な経験だから。

今はそういう心境です。これがまた40、50と歳を取るごとに変わっていくのかもしれませんが。
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2005年05月09日

とりかえしのつくことなんて、この世の中にはひとつもない

はじめに、書いておきます。びっくりする方、なんともいえない・・・あまりよい気分とはいえない気分になる方も居ると思います。

こういうことは、プライベートすぎる(つか、赤裸々すぎる)ので、公共の場であるブログなどに書くべきではないと考える人もいるでしょうが、でもやっぱり、私のブログは日記の性格が強いし。もともとぶっちゃけ話全開だし。いくら読者がいる日記とはいえ、日記というものは読んでくれる人の為じゃなくて、自分のために書く物だと思うので。逆に読者のために書いている日記なんておこがましいとも思うし。でもだからというわけじゃなくて、まぁ、言い訳なんですけど。書きたいから書いておこうかと思います。だって、人生においてこんなこと何度も無いと思うからね。

それで、まぁ、つまりですね。5日に父が亡くなりました。

記録をとっていないし、離れて暮らしていたし、親不孝でろくに看病もしてないし、詳細は覚えていないのですが、恐らく2年ほどの闘病生活だったと思います。最終的には、下咽頭ガンでした。若い頃からの、40年以上にわたる、アルコール中毒になるほどの飲酒癖・不摂生・タバコの吸いすぎ・それから極端な話好きが原因だったのでしょう。三度の手術の末、声帯を切除し、胸に気管孔を開けて呼吸し、それでも転移を止められず、進行の速いガンに冒され、結局終末医療を施されて4ヶ月ほど頑張ってから、何も見ず、声にも反応しなくなった頃、最後には意識も戻らず、目を開けることも無く静かに逝きました。

大変だったね、とか、お気落としのことでしょう、とか、必ず言われるけれど。まぁ、決り文句だから一々口答えなんかしないけれど、でも実際、つきっきりで看病した母や、父の不在を埋めるために仕事を必死で頑張った兄は確かに大変だったけれど、私自身はせいぜい帰省の回数を増やして、父の病室で父の寝顔を見たり、母の看病の手伝いをするくらいで、全然大変じゃなくて、そういわれるのもなんだか心苦しい。

もともと、私の、父に対する感情はあまりに微妙で、勿論父の病気を喜んだり望んだりはしなくても、でも逆に死んで欲しくないとわめくわけでもなく、悲しみも取り乱すほどではなくて。もし父がなくなったら私は泣けるのかな、母と兄と感情を共有できるのかな?と阿呆な要らない心配をしたりもしたけれど。

だけどやっぱり家族だったから、生前、日に日に悪化する父の病状にも、ついに亡くなった父の遺体を見ても、思うことがなかったわけでもなく、不安になったり、色々思い出したり、後悔したり、つまらないことを考えたり、泣いたり、腹を立てたり、寂しがったり、そして安心したり、色々揺れ動きました。今でも揺れています。

あと半年はもたない、と最初に言われたとき、私はただ、とても利己的に、これから先、私が人生を生き抜いて行くために、父親への感情を清算しなければならないのではないかと考えました。
幼かった頃、私は父をとても憎んでいました。その主な理由は父のアル中だったのですが。けれども私は、その反抗する気持ちを父に直接ぶつけずに、家を出て父から遠く離れる方法を選び、父への感情を凍らせて、そしてある時を境にぱったりとタバコをやめ、酒量を減らした父を、許したわけでもないのに、ただなんとなくうやむやに憎しみの行き場を失って、そのまま微妙に疎遠なだけの普通の親子の状態にしてしまいました。このまま父に死なれたら、私はこの先、感情に、人間関係に支障をきたすだろう、そう考えて、この問題を解決しようとしました。

けれども敢えてそんな方法を考えなくても、最後の半年、弱っていく父の姿に、ますます献身的になる母の姿に、色々気づかなかったことや、見てみぬふりをしていたこと、思い込んでいた間違いに気づかされました。

かつて、父に説教される時間が苦痛でした。父の姿が、すぐ側にいるのに、実際に、視覚的にとても遠くに見えてしまうほど神経を圧迫されていました。人の話を少しも聞かない父、自分ばかりを正しいと言い張る父。嫌っていた当時はそんな父ばかりが意識されたのに。今思い出そうとすると、つまらない雑学を子供のように得意げに語る笑顔とか、私の作った料理を「不味くない」と照れくさげに誉める父とか、娘の好みも知らずに買ってきた洋服をつっかえされてしょげる父とか、そんなことばかり思い出すのが悔しくてなりません。ちょっとずるいと思う。死人はいつでもずるいものですが。

まだ、人の親になっていない私は、子供の立場からしか物をいえないのですが。負けを認めるような気持ちで、私はやっぱり父を愛していたのだと、今更、本当に今更思い知らされます。子供に、生まれたとき親しかよりどころのない子供に、どうして親を愛さないことが出来るでしょうか。憎むとしたら、失望するとしたら、それは愛しているから憎むので、愛しているから失望するのでした。求めて得られないから傷つくのでした。どうしてそんなことに、この歳になるまで気づけなかったのか。若い頃の思い違いを正すこともなくこの歳まで来てしまった自分のナマケモノ具合に少々呆れています。誕生日の度に、父の日の度に、ぶつくさ文句を言いながら、父にふさわしいものが見つからない、と、足が棒になるほどプレゼントを探し歩いた自分を、どうして客観的に見れなかったのか、不思議でなりません。まぁ、その辺は父にも母にも責任がある、と開き直ったりもするのですが。

最期が近づいたとき、私はよく病室で泣きました。声を上げて泣いたりもしました。でも悲しかったわけではなくて、苦しかったわけでもなくて、ただただ透明な気持ちがいっぱいに溢れて、それが液体になっただけみたいに泣きました。そんな感情を経験したことが無かったので、ただただ不思議でした。
父自身には無念の死だったでしょうから、子供の勝手な解釈ですが、父が死ぬ、ということが、私にとって一番大きな、父が与えてくれた経験、教えてくれたことだったと、今は思います。私はとても素直になれました。人は死ぬから、よりよく生きるのだということの意味を痛感しました。
最期の4ヶ月、母は父をこんなに愛しているとは思わなかったといいました。確かに、こうならなければ私も父に対しての感情をこんなふうに確認することはできなかったでしょう。母はこの4ヶ月、お父さんにはかわいそうだけど、私はとても幸せだったといいました。私はそこまで思えませんが、でももしかしたら私の人生においては、そうなのかもしれません。親を愛しているということを自覚できることは、幸福に間違いは無いでしょうから。

今、馬鹿みたいに「お父さんが死んじゃった」「もう二度と会えない」ばかりをつぶやいて、気の済むまで泣きつづけています。抱きしめるどころか手だってつないでくれなかった、運動会にも授業参観も一回だって来たことがなく、旅行どころかその辺にだって一緒に行ったことが無い。でも私からもそういう要求をしなかったことが、逆に父をしり込みさせていたこともあったかもしれない。とりかえしのつかない後悔やら文句やらを並べてみて、でもこれもきっと父が亡くならなければ決して気づくことの出来なかった、あったかい気持ちなんだと、ひとつひとつ噛みしめながらやっぱり泣いています。もっと話せばよかった、遊べばよかったなんて、1年前の私にはできない後悔だから。

だから今ごろになって子供みたいに駄々をこねています。もっかい帰ってきてください。
posted by 草 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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